恵みの雨--田圃のある風景
2009-06-05


禺画像]
都会では春の長雨は嫌われますが、この時期の雨は稲作農家にとってはまさに恵みの雨です。雨が降れば代掻きができ、お田植えができるからです。恵みの雨には慈雨という表現もあります。慈雨の要点は、ほどよい時に、ほどよく降ることです。近年のような土砂降りは斜面の土を押し流すだけです。歓迎されません。せっかく蒔いた種まで掘り起したり、弾き飛ばしたり、押し流してしまいます。作物をゆったりと包むように降る雨、隅々までじっくりと潤し育ててくれる雨、それが慈雨です。
 都会の人々が雨を嫌うのは、それだけ生活が人工的になった証拠でしょう。今世紀の終わりには宇宙空間の作物栽培工場で育てた米や麦を地球に運んで、地球人が仲良く分け合って食べるような仕組みでも造るつもりでしょうか。それとも地球人は宇宙空間で生活し、地球はもはや生物の住めない天体と変わるのでしょうか。そのとき食べ物はどうするのでしょう。月にでも工場団地を造成し、作物栽培用の一大工場を建設して供給基地にするつもりでしょうか。
[日本語]
[時代と言葉]
[生活]
[食べ物]
[風景]
[写真]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット