■気象予報士の日本語
2009-10-15


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ラジオの気象予報士が毎回、しかも最初から最後まで「そうです」を繰り返すのはいただけない。聴いていて本気で予報を伝えようとしているのか、と疑いたくなる。自分の気持に正直なのは分かる。予報に自信がないのも理解できる。しかし所詮は気象庁が出す予報を受け売りしているだけではないか。どう伝えようが、気象庁の予報に忠実である限り、語尾にこだわっても自分を慰めるか自己満足にしかならないだろう。
 いやむしろ不自然でさえある。何か作為的なものを感じる。態(わざ)とらしさが演出され実に聞き苦しい。しかも誰も注意を促す者がないと見えて毎回毎回、語尾を「そうです」で終わらせる。こうなると聞き苦しさを通り越して、言葉の乱れや誤解さえ生み出しかねない。言葉遣いへの影響が懸念される。

 ⇒[URL] 予報用語(気象庁)

 気象庁の「天気予報等で用いる予報用語」を見ると、「時に関する用語」「地域に関する用語」、天気や風など「気象の要素に関する用語」などとずいぶん気を配り神経を使っている様子が窺える。例えば「さわやかな天気」「ぐずついた天気」は使ってもよいが「よい天気」「好天」「雲の多い天気」は×といった具合に細かい指示が明記されている。だが、「そうです」「かも知れません」「でしょう」など予報を聴く側の主要な判断材料にもなる予報士の微妙な確信度を表す断定の助動詞の使い方にまでは立ち入っていない。そこまでの支配はとてもできないということだろうか。

  秋の雲光りて月日過ぎゆくか  志摩芳次郎
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